るさんちまんこ

私ってほんと天才

マイ・コメジアン!

私はチアフルな人間です。少なくともそう見えるはずです。本当は心からの絶望と憎しみを滾らせている汚い人間ですが、私を知らぬ人はその奥底を知らないが故に上澄みのしゃかりき明るいのを見てそう言うでしょう。また私をよく理解してくれている友人は、私の奥底の絶望をも理解したうえで、海底の絶望を照らす灯台のごとき私の明るさをよく評価してくれていて、これはうれしいことです。
チアフルですから、私の話し方、目線の配し方、ストーリーテリングの能力、声色の使い方などはきっと特徴的で、実に楽しいでしょう。日々万座大爆笑であります。これは私は意識してやっているのではないので、まさに天恵のものともいえる。天に感謝!

天恵のこの話術は、気心のしれた友人の間では、本当になんの重荷もなく、自然に発揮することができるのです。私は目の前の人を楽しませようという意識などもすることなく、ただ、この愉快なアトモスフィアをかき回しグルーヴに乗っているだけで、何一つ力んでいるところがない。
しかしながら、私はこの話術を自らの天賦の才、ゆえに私はこれを自在にコントロールできる!と心得違いをしてしまったことがありました。コミュニケーション能力という得体の知れない概念が声高に叫ばれ、またその文脈は常に「現代のあらゆる場面に求められている、にも関わらず、現代人からは欠如している」というものだったために、私は思わず、「我その能力持ちにけり!」と得意になってしまった、恥も外聞もあるものか。
実際、いくらかのその能力は、いくつかの場面で発揮できたように思う。けれども、気心も知れていない、私の水面下の絶望などひとつも理解していない人間どもの前で披露する、私の体面ばかりの明るいトーク、中身のない腑抜けの笑いの響き、その場にグルーヴというものはなく、私はドッと疲れたのでありました。実際、私にはそのコミュニケーション能力とやら、屏風の虎のごときものは無かったのです。
私にあったのは、私を理解してくれているし、私を傷つけることはついぞないだろうと信頼のおける仲間たちの前で披露できるアマノウズメの狂気の舞いだ、歓喜の叫びだ。それはみんなの前では勝手に発揮されるものです。自在に発揮できる技のごとく勘違いしてはいけない。もうそんな思い上がりは2度としないと誓うよ。