ゆと戮

ゆとりく

3/9が国際ウィメンズデーでした

先日インターナショナル・ウィメンズ・デーのマーチに参加した。神宮前から渋谷まで一時間ほどかけて歩くものである。赤色のものを身につけ、また米国でのマーチで爆発的に広まったプッシー・ハットを身につけて連帯した。300人も集まったという。心強かった。先導車を前にコールして歩くのは、いかんせん古めかしい運動のにおいも漂ったが、太鼓をどんどこ鳴らしてやるものでもなく(先人たちを否定するわけじゃないが、今時分はどうにも太鼓ドンドコで声を合わせてコールというのが、ださくかんじてしまっていけない)一人ひとりが主張したいプラカードや旗を掲げて歩くのは心身によいことだった。私も何か主張したいことを書いて掲げていけばよかったと思ったが、テーマを「女性」と広く括ったとき、一言に主張をまとめろと言われても無理と気付いた。
現場にやってきたインタビュアーの女性が我々に聞いた。「何を変えたくてマーチに参加されたんですか」一緒に歩いた聡明な友人が代わって答えてくれた。「えっ?何もかも」その通りだ。ジェンダーギャップ指数で生き恥を晒し続けるこの国で、何から主張していったらいいかわからない。おまけに社会の態度は無関心か無理解かである。言いたいことが多すぎて、同志の無念が私にのりうつって、結局口をついて出るのは怒りと絶望だ。主張たりえない。

マーチで繰り返しコールしたのは「マジでやばい!」「マジでつらい!」だった。保育園落ちて、マジでやばい。賃金安くて、マジでつらい。セクハラ・パワハラ、マジでやばい!こう声を合わせて歩いた。確かに現状はやばいしつらい。ただこのコールにさえ抑圧された女性性を感じると言ったら私はビョーキだろうか。みんながそう思ってるとは言わないが、少なくとも私は今でも思っている。「日本死ね!」。そうだよ、日本死ね!満腔の怒りと深い絶望が絞り出した断末魔だよ!
しかしそう発したが最後、また表現が不適切とか、「母親としてどうなのか」とか、主張を一ミリも理解していないうすら馬鹿どもに揚げ足を取られる。命と尊厳が危機に瀕していても、私たちには、こんなかわいい抵抗しか許されていない。