ゆと戮

ゆとりく

若松孝二の連赤映画を観たら地獄の釜開いた

 

あさま山荘の映画で、連合赤軍の「山岳ベース事件」「総括」の様子をみたが、これはまさにあの地獄のような、「関西弁」によって行われていた、新入社員研修とソックリではないか。威圧的な態度、私刑が自分に回ってくるのをおそれて、お互いに警戒しあい、密告し合うこの雰囲気、奴らがやっていたことはこの山岳ベースでのあの光景と重なる。肉体的な暴力や人死に沙汰が伴わないだけで、奴らがやっていたのはこのサイコパスによる圧政だ。
山岳ベースの様子は精神をごりごりと削っていくような酸鼻を極める映像の連続だったが、終盤、山荘に立てこもってからは、思わず坂口や坂東、まだ幼い加藤弟に同情してしまう(監督の意図のままに)。

まだ高校生にもかかわらず、目の前で人が殴られ、血を流し、縛り上げられるのを見、兄まで殺された加藤元久が、本当にあの場でああ叫んだのか、映画の脚色なのか、わからない。だが胸を打ったのは確かである。


あの研修で私に必要なのはあの場をぶっ壊す勇気であった。仲間たちを目覚めさせる言葉であった。怒られることに慣れていない、虚弱者、ゆとりと、馬鹿にされ続けた結果、あの地獄へと、打開策をアウトソーシングに頼ることしか考えられない、脳味噌の腐った上司によって放り込まれた、同志を私は見捨てたのである。
なぜ私がここで見捨てたと言うのか。私は同志たちとともに研修を受け、傷付けられただけである。私も被害者であると言える。だが私は彼ら彼女らを見捨てたという気持ちを捨てきれない。それは私がこの二週間後には重度の鬱になり、一年間希死念慮に悩まされることになるほど、生真面目者であったことも一つの理由である。
もう一つの重大なる理由は、私は圧政者、またこの地獄のシナリオを書いた張本人である「関西弁」(彼らのくだらない名前などは、忘れてしまったから、彼らが我々に大声で怒り叫んだときの恐ろしい、世にも下品な方言で彼らをよぶ)の、メッキが剥がれた瞬間を見たからである。

私は地獄の研修の1日目を休んだ。慣れない大声を出す仕事の連続で(この時点で私がこの仕事に向いていないことは明らかだったが、それはまた別の話だ)声帯炎のためである。高い追加料金を払い、医者に診断書まで貰った。診断書を叩きつけ、研修には参加するが、なるべく言葉は発しない、という特例を、上司どもに要求するためである。
かくして私は2日目から研修に参加した。研修が行われているすえた宿舎へ入る。スーツを着込み、会議室のようなところへ行く。果してすでに地獄である。会議室ぜんたいに広がり、同志たちが輪になっている。すでにみなの表情は新入社員が能無しの上司に理不尽な叱責をうけているときの、不愉快さと恐れの入り混じったものである。背中にいやな汗が噴き出した。関西弁が大声を出している。「昨晩の女子風呂の使い方はなんや!椅子も桶も出しっ放し!お前らはその歳で後片付けもまともにできひんのか!」文字におこすと噴飯ものの、この怒号が我々の頭にふりかかってきたのである。「男子!お前らもやぞ!」内容は忘れたが、自分たちは関係ないと安心してしまわないよう、関西弁はしっかりと男子にもその下卑た言語を、犬が雑草に小便するみたいに浴びせていた。同志は男女ともにさばかれていた。
私が見たメッキの禿げはその横で起こっていた。私はスーツを着込み、自分の直属の上司(といってももちろん、今となってはこう呼ぶのが恥ずかしいほど、評価できる点のない能無しである)の横に控えていた。関西弁の下っ端のような奴に挨拶をする。私は頭を下げた。下っ端も頭を下げた。奴はフトコロに手を突っ込み……
名刺を出そうとしたのである!
私を「ゆとり」の同志でなく、「上司」側の人間と思ったのだ!
奴らは「上司」側の人間に雇われただけの、安い安い「研修屋」だ!
こいつらは我々「ゆとり」に対して恐怖政治を敷き、我々をコントロールしようとしている!
この瞬間に私は悟った。下っ端は私が「ゆとり」であるとわかった瞬間から、横柄な態度を取り始めた。その姿はなんとも滑稽であった。
例の、小便を引っ掛けまわすような理不尽な怒りの裁きが、下っ端のチープな板金を目撃している横で続けられていた。関西弁は今度は「常に胸にしているように」と指示したはずの名札をしていないことを理由に、男子の同志二名を吊るし上げ始めた。「何で名札してへんねん!」「朝、早かったので……」「カバンに入れてしまい……」あわれ、同志はこのように口答えをしてしまったがために、関西弁の怒りの膀胱をつついてしまった。関西弁はしょんべん怒号を浴びせ続ける効果が薄くなってきたと思ったのだのだろう。彼らを吊し上げるために自分の手ではなく、我々の手を汚すことを考えた。安い研修屋の考えそうなことだ。「お前ら!◯◯と◯◯(名札を忘れた二人)がなんでそんなミスを犯したのか、もう同じことを繰り返さないためにはどうしたらいいか、一緒に考えたれ!」こういうようなことを言ったような気がする。こうなると、同志たちはその怒りが自分に降りかからないよう必死である。「もともとだらしないところがあった」「もっとお互いに監視しておくべきだった」恐ろしくて思い出せない。こんなものではなく、残酷な言葉が飛び交う。男子二人は目を赤くして聞いている。これは私刑であった。間違いなくそうだった。二十名ほどの同世代のものたちに一斉に罪を咎められ反省を促されるのだ!山岳ベースでいうところの、「総括」だ!

 

私は、下っ端だけでなく、「関西弁」のメッキが禿げる瞬間も見ている。
私は途中参加者だから、関西弁に直接挨拶をしにいった。関西弁はなんとも愚かなことに下っ端と同じミスを犯し、スーツ姿で堂々としている私を見て、懐に手を突っ込みかけた。私はそれを小気味よく見ながら、自己紹介をした。このとき関西弁が返した内容をすっかり私は失念してしまった。取るに足らないことだったのだろう。しかしはっきりと覚えているのは、それがあまりにも「メソッド的」な返事だったということだ。まず私の自信をくじき、信じられないほどひどいことを言う。そのあと、少しばかり希望を持たせるようなことを言い、薄っぺらな笑顔で私に「頑張れ」といった言葉をかける。先述のとおり笑顔以上に内容も薄っぺらだったから、すっかり忘れてしまったが、とにかく関西弁は「恐怖でコントロールしようとしている」ことが透けて見える話をしたのだ。


だが、私は駄目だった。奴らの安いメソッドを、禿げたメッキを知りながら、同志たちに警鐘を鳴らさなかった。耳を貸すな。こんな研修とっとと逃げちまえ。どうせなんの役にも立たない。
今、あの場にもう一度立てるなら、私は大声で叫ぶ。「お前たちの策略はお見通しだ。お前たちの思い通りになんかならない。こんなクソの役にも立たねえ研修で、よくも私たちの時間を無駄にしてくれたな。」
そして盛大にドアを開け、出て行き、これまた盛大にドアを閉め、信じられないスピードで家に帰るのだ。もちろんそのあとは信じられないスピードで辞表を出す。
でも、あのときそんなことができたら、鬱病になんかなっていないよね。

今でこそ、私は時間はかかったがこうして立ち直った。研修所で一緒だった「ゆとり」の同志たちは、今どうしているだろう。あの研修は無意味だった、理不尽だった、時間の無駄だったと、もう気付いていますように。でも、一人でもあれを真に受けて、生まれ変わったような気持ちのままに(事実、奴らは私たちを理不尽な怒りにも不満を述べない不感症の馬鹿に生まれ変わらせたかったんだ)世に言うブラック企業で酷使されていたらどうしよう。その可能性を考えたとき、私は一人でいまこうして愉快に過ごしている自分を鑑みて、彼ら彼女らを見捨てたと思うのである。

 

映画のラストシーン、警察が強行突入してくる日の朝、人質にとっている山荘の女将に握らせたおにぎりを見て、坂東が言う。「同志たちにも食わせてやりたかったな」リーダー格の坂口がこたえる。「流れたあいつらの血を受け継ぐのが俺たちの戦いだ。俺たちの借りは、死んだ同志たちにある。この借りを返そう」吉野が続ける。「ああ、落とし前をつけよう」
そして加藤元久は最後に叫んだ。自分よりずっと年上の、兄殺したちを前にして叫んだ。「何言ってんだよ!今さら落とし前が付けられるかよ!俺たち、みんな、勇気がなかったんだよ!俺も、あんたも!勇気がなかったんだよ!」